第3回 国際サシバサミットに横須賀市議会議員として参加

国際サシバサミット台湾

 サシバというのは渡りをするタカの仲間です。夏は本州、四国、九州、中国大陸で繁殖し、奄美大島、宮古島、台湾等を経由してフィリピンなど奄美大島以南で越冬します。 

 カラスくらいの大きさで、日本では田んぼの畦などでカエルやカマキリなどを食べて夏の間過ごしています。そして冬は南方のフィリピンなどで過ごしています。サシバは東アジア圏内を南北に行き来する渡り鳥ですが、いまその生息数が激減しています。主な要因として、繁殖地である本州各地では里山の自然環境が劣化したことで雛に十分な餌を与えられなくなっていること、渡りの中継地である宮古島、台湾や越冬地のフィリピンでは食用の密猟などがあげられます。サシバを未来に残すには、繁殖地、中継地、越冬地のすべての地域が協力しなければ成し遂げられません。そして、減少を止めることはできても、サシバの生息数を回復させることができるのは日本などごく限られた繁殖地に期待されている役割です。

サシバのイラスト 国際サシバサミット 台湾のポスター
サシバサミットで見かけたサシバのポスター

 横須賀には、かつては谷戸田を中心とする広大な里山が広がり、何つがいものサシバが繁殖していました。最後に三浦半島でサシバの繁殖が記録されたのは1998年のことでした。伝統的な水田耕作が無くなったことによりカエルやヘビなどが激減し、十分な餌がとれなくなったことで横須賀はサシバに見放されました。

 日本で最も高密度にサシバが繁殖しているといわれているのが、栃木県市貝町です。市内の大部分を占める谷津の水田を飛び回り、手頃な枝谷戸の斜面林に巣を設けます。2019年、第1回国際サシバサミットを契機に市貝町と宮古島市は姉妹都市となりました。市貝町は町域全体を「サシバの里」として町おこしを盛んに行っており、宮古島市はサシバにまつわる伝統的な言い伝えや行事がたくさんあります。他にこのサミットに参加している自治体として、奄美大島の宇検村があります。近年明らかになったこととして、宇検村では毎年数千個体が越冬していることがわかりました。私も数年間宇検村の越冬調査に調査員として参加しています。他にも岩手県、滋賀県、福岡県など全国各地でサシバの保護に取り組む研究者、活動家などがこのサミットに参加しています。日本人のサミットへの参加は、自治体の首長や職員、学識経験者、活動団体など延べ31名でした。

国際サシバサミット台湾
サシバのマスコット「シャンフェイ」といっしょに記念撮影 第3回国際サシバサミットの会場前にて

 今回の開催国の台湾は、大陸と日本からのサシバの渡り個体が中継する拠点で、特に台湾島の南端で今回の開催としてある懇丁は、そのすべての個体が集結してこれからフィリピンに向けて飛び立つ様子が見られるスポットです。日本各地の渡り観察ポイントでは決して見ることができない、数万個体の渡りの様子を見ることができます。次回の開催国であるフィリピンは、サシバの主要な越冬地となります。ルソン島ではサシバの密猟が近年まで横行していましたが、密猟者をただ取り締まるだけでなく、サシバ観察のインストラクターに要請するなどエコツアーの担い手として育成することで、彼らの生業を奪わずに密猟をやめさせた実績があります。同じく越冬地であるタイや、繁殖地である韓国も今回参加していました。一種類の動物のために、国をまたいで行政、研究者、NGOが集まる会議は非常に珍しく、素晴らしい取り組みだと思います。その発端となったのは、(公財)日本自然保護協会やアジア猛禽類ネットワークなど日本のNGOです。国際サミットを契機にサシバに関係する各国が連携して、その保護に取り組んでいます。

 すでにサシバが繁殖しなくなった土地、横須賀から敢えてこのサミットに参加することは実は非常に重要です。まず、なぜサシバが地域絶滅をしたのか、負の歴史、教訓として世界に伝えることです。「絶滅危惧種」というと、減ってはいるが絶滅したわけではありませんので、どこか実感がわかない部分もあるかと思います。しかし、実際に地域絶滅した地域として、その喪失感を発信することができれば、まだサシバが残っている地域も逼迫した問題としてより危機感を持って取り組めることでしょう。もう一つは、サシバの個体数を回復させるには、現存する繁殖地、中継地、越冬地の保護ではなし得ないということです。中継地、越冬地では繁殖しませんから、そこでの活動では「減らさない努力」に尽きます。そして、現存する繁殖地では、サシバというのはカエルを補食するとはいえタカはタカで、繁殖期にはそれなりに広大なテリトリーを設けます。現状の縄張りの中に、他のつがいが巣を構えることは許されません。つまり、繁殖可能な新天地を増やさない限り、サシバの個体数そのものは増やせないのです。まっさらな土地でサシバが生息できる状況になるまで環境を創るのは非常に困難で時間がかかることでしょう。それよりも、かつての繁殖地を少し手直ししてサシバの繁殖に耐えうる環境に仕立て上げる方が、ずっと合理的なのです。

 横須賀に今はサシバは繁殖していません。いない中で、その幻を見ながら環境再生をしていくのは、並みの努力ではありません。かつては何軒ものお百姓さんが管理していた里山を、しかも半世紀も荒らして大木が乱立しているような藪を、少人数のボランティアで切り開くのは本当に骨の折れる作業です。しかし、サシバの保護の最前線だと思って続け、この国際サミットにも参加しています。

 初日(2023年10月12日)は、16時に左営の駅に集合し、貸し切りバスに乗って懇丁へ移動します。サミット中のプログラムの運営は基本的に台湾猛禽研究会の皆さんがすべて段取りしてくださいました。懇丁は台湾島の南端(少し飛び出ている半島)で、鉄道網はありません。きれいなビーチが広がり台湾のハワイとして賑わっていますが、サシバの一大観察地としても知られています。この日から懇丁国家森林遊楽区に隣接する安宿(窓なし食事なしバスタブなし)に宿泊しました。

国際サシバサミット台湾
サシバのねぐら立ちを観察
国際サシバサミット台湾

 二日目は、日の出前からサシバのねぐら立ちを観察するということで、4時半から行動開始しました。真っ暗な中、アマサギやクロサギに混ざってサシバが次々と河畔林から飛び立ち、あっという間に大きな鷹柱(数羽の鷹が一つの上昇気流に集まる様子)を作って高速で南に流れていきました。一つの視界に100個体は当たり前という光景に、自然の大きさを感じました。展望台では、懇丁国家公園から委託されて台湾猛禽研究会秋のタカの渡り調査をしています。9月1日から10月31日までの調査期間が設けられており、この日は3175個体がカウントされていました。サシバの他、アカハラダカも数多く渡っていました。昼からサミット会場へ移動です。午前中少し時間ができたので浜辺を歩くと、台湾で大きな猛威を振るった台風14号(コイヌ)の影響により、流木が多く流れ着いていました。サシバのねぐらもかなり被害を受けたそうです。そのためか、漂着物の中には死後10日前後のアマサギ、チュウサギの死体が多くありました。また、ハナシカと思われる骨も多く打ち上がっていました。

 サミット会場では、サシバのマスコットがお出迎えをしてくれました。シャンフェイというオスのサシバのようです。ちなみに市貝町のゆるキャラ、サシバのさっちゃんは、赤ちゃんを抱いているのでメスのようです。会場で最も目を引いたのは、物販です。台湾の人々は非常に想像力、表現力が豊かで、本当に刺さるグッズをたくさん発明していました。思わず折りたたみ傘やTシャツなど衝動買いしました。会議では台湾猛禽研究会理事長、アジア猛禽類ネットワーク代表、台湾政府の農業部内政部台湾日本フィリピンの地方自治体代表者から挨拶があったのち、台湾、日本、フィリピンの事例の口頭発表を聞きました。ポスターセッションでは、私も横須賀の事例を紹介しました。夜には懇親会があり、満州國小学校の子どもたちが伝統芸能を披露してくれました。

国際サシバサミット台湾
サシバのねぐら立ちを観察
国際サシバサミット台湾
ポスターセッションで横須賀の事例を紹介
国際サシバサミット台湾
国際サシバサミット台湾
ポスターセッションで横須賀の事例を紹介
国際サシバサミット台湾
サミット会場の展示

 三日目は午前中に韓国タイでの事例の口頭発表ののち、サシバ保護宣言が発表され、次回のホスト国、フィリピンに引き渡されました。フリードリンクバーにタピオカミルクティーが並んでいたのが印象的でした。午後は近隣の中学校で地元のバードフェスティバルがあるということで、視察しました。驚いたのは校舎の壁に大きく描かれたサシバの群れと、各民家の住所表示板が全部サシバのデザインだったことです。幼稚園児も含め、子どもたちがサシバを切り口に面白いクラフトやゲーム、飲食などを各ブースで提供しており、町全体でサシバの飛来を楽しんでいる様子が手に取るようにわかりました。また、付近の山裾にサシバがねぐら入りしており、その様子も観察できました。高空を飛んでいたと思えば急降下してヤシの葉に降りる様子は、非常にダイナミックな光景でした。

国際サシバサミット台湾
中学校でおこなわれたバードフェスティバル
校舎の壁に大きく描かれたサシバの群れ
サシバがデザインされた住所表示板

 四日目は、懇丁国家公園内のエクスカーションに参加しました。現地のインストラクターが解説してくださいました。ヤツボシハンミョウやツマアカスズメバチ、オオゴマダラなどきれいな昆虫類、ガジュマルやサキシマスオウノキなど特有の樹木を観察しました。ハナシカの糞が遠路沿いに複数あり、夜の賑わいも感じられました。やはり台風14号の影響は国立公園内でも甚大で、大木が2割ほど倒れたそうです。ビジターセンターでは近代的な展示がされており、日本統治前後からの国立公園の成り立ちを学ぶことができます。この国立公園は日本が統治時代に、台湾の熱帯植物がすべて観察できることを重視して設定したとのことです。また、このビジターセンターでも独創的な物販が展開されており、思わずアイマスクと笛を買ってしまいました。

一連のサミットを通し、台湾人のサシバに対する盛り上がりを肌で感じることができ、良い刺激を得られました。また参加受け入れに際し様々にサポートしてくださったことに感謝します。この日の夜の便で羽田に帰りました。

国際サシバサミット台湾
懇丁国家公園で観察